人は育つのではないが環境の中で変わっていくもの

ふとハテナの人気記事を見てると目を見張るような、おもしろ・・いや、恐ろしいことを見つけました。
いろんな意味でカユイ現象です。


それは、芦屋広太氏の5分で人を育てる技術 の第5回 言うことを聞かない“自信過剰な部下”の記事に対し、
小野和俊氏が芦屋広太氏のマネジメント手法を

奴隷としてこき使っていくためにはどのような小賢しくて汚いテクニック

と揶揄し、それに対して多くの賛同がえられていることです。
奇しくも小野和俊氏と私は、同年代。


その私の経験では、芦屋広太氏のやり方は、集団活動としては一般的で、
当然行われるマネジメントと考えます。
彼はある心理を使用した説得を行っています*1
それは「別チャネルから同質の情報を受け取ると人は真実と受け取ってしまう」心理です。
このケース自身、ハーバードビジネスレビューなどでも幾度となく取り上げられる話題であったりします。*2
これを根回しと簡単に嫌悪するのはいかがなものかと。


たいていの方々が雇われの身で、鼻持ちなら無い後輩がいるのではないでしょうか。
どちらかというと芦屋広太氏の立場の方が多いはず。
小野和俊氏の意見が圧倒的に有利なのはバンドワゴン効果でしょうか。
それとも、ケースの坂本君に同調してしまっているのでしょうか。



そもそも、このような「ケーススタディー」は
完全に理性的な答えを出すには情報が足りないように作られています。
皆さんも登場人物のパーソナリティーすら十分に把握できないでしょう。
結局、自分が今まで養ってきたバックグラウンドをもとに想像して話すしかありません。
だから、ケーススタディー」では意見が違うのは当然です。
ブレーンストーミングやディスカッションでお互いの意見をぶつけ合うのが醍醐味です。
芦屋広太氏と小野和俊氏。当然と主張が違います。


更に、マネジメントはその定義だけでは、結果を出すためのあらゆる手法を禁じていません。
だれもが手を打って賛成できる方法から、人に言えない泥臭い方法まで、それがマネジメントです。
特にこのケースは、組織の心理に関わる部分のため、様々な意見が出てきて当然だと思います。
にもかかわらず、意見が反-芦屋広太氏に固まってしまっている*3
この現象・・・個人的に苦味を感じます。



と言うことで、マジョリティーが決定している段階で意見を言うことはアレかもしれないですが、
せっかくなので踏み込んで自らの意見を述べることとしましょう。




それにしても本件に関するブログ、コメント、TBを読んでビックリします。
まるで、坂本君が一般的な能力、もしくはそれ以上の能力を持つかの如く扱われているのはどういうことでしょうか?
更に、管理職側が無能であるのは、彼の能力を利用できないことだと結論付けています。
それほど彼がすごいと思ったのはどこからでしょうか?
同じ文章を読んだ時、私は坂本君が真性インテリバカではないか?と思ってしまいました。
もともとの文章の書き手が坂本君の印象を悪くするように書いているかもしれませんが、
それを考慮しても、坂本君はインテリバカと思える節があります。


その理由を背理法で説明しましょう。
試しに、会社側に問題があったとします、そんな会社ではもったいない能力を彼が持っているとします。
それなら彼は3年で出て行くでしょう。自分の能力が生かせないことが分からないほど無能では無いのですから。
次に、彼がそこそこ有能だとしましょう。そうすると、6年も働くと業務の中核を担っていてもおかしくないでしょうか。
仮に部長に「彼を下さい」と引き抜きを願ったとしても、「嫌な奴だけど外せない」と断られるでしょう。
では、6年も仕事をしてる有能な彼が、部長から「いつでも(異動して)OK」なんて言われるのはどうしてでしょう。
少なくとも、坂本君は会社に貢献していると思われていないのでしょう。
6年という時間をかけて、自分の価値を認め「させて」いない彼が本当に有能なのでしょうか。
このケースは上司の問題とは思えません。当人の問題ではないかと。


働かざるもの食うべからず。貢献しないもの組織のやり方に物言う資格なし。
どんなに優秀なものであっても最初は発言権が無いのはこれが理由です。
もちろん、新鮮な視点からの進言と言うものも組織には重要でしょう。
これはこれで価値がありますが、多くの組織はCSの観点からお客様からの声を入れることでカバーしようとしています。
社員に対しては入社数年の間で十分でしょう。
それを超えた場合は、職位もしくは実質的な権威を基にした形での発言を望まれます。
彼は、6年間、発言できる基盤を築き上げてきませんでした。
せめて社外での貢献があればよいですが、それも認知されていないのでしょう。
どんなに良い素質があっても、「自分の能力を組織活動に生かすこと」がなければ無能扱いです。


このことは、エンジンが良くても運転が下手なことにたとえてみた方が分かりやすいかもしれません。
会社と言う道路を走ることを求められているのに、
「俺はできるんだ」とエンジンを高らかに噴かされても仕方ないでしょう。
道路は完璧ではありません。どんなに舗装された道路でも小石ぐらいは落ちているでしょう。
ほんどの方は悪路でしょう。だから、小石どころか大石だって転がっていて普通です。
その会社と言うコースで良いラップタイムを出すことを会社に求められているのです。


それにもかかわらず、成績を出していないドライバーが突然、
「このコースは俺のエンジンを生かせないからおかしい。コースを変えろ」
と喚き出しても、だれが聞くのでしょうか?
「お前の走り方を変えろ」と馬鹿にされるのが関の山です。
本当にエンジンに自身があるなら、直線1/4マイルを走らせるドラッグレースにでも参加すれば良いんです。
小さくて代わり映えのしないコースを走ってもつまらないでしょう。
さっさと出てお行きなさい。


そのチャンスも実力も無いのだったら、
少しはドライビングテクニックを学んだほうがましではないかと考えます。


その中で、芦屋広太氏は心理的誘導を用いて彼の行動スタイルを変更させると言う手法を提案しています。
良心的なことだと思います。
管理職側が無能であるのは、彼の能力を利用できないことと主張している方に一言申し上げたい。
坂本君が坂本君のままで有効に利用する方法があることをご存知ですか?


彼の有効利用法。
それは、失敗する案件を彼に押し付け、全ての罪を被ってもらうということです。
鼻持ちなら無いパーソナリティーはそういう運命を引き受ける魅力があります。


それが邪法?


・・・そりゃ、そうでしょうネ



でも、そんなのがマネージメントではまかり通ります。

経験の長いマネージャーはこういった邪法のストックをいくつも持っているでしょう。
それだけで出世していく人もいるでしょう。
かの著名なドラッカーですら、「自分じゃ首を切るのが嫌だから、切り役の人間を側に置いた。」*4とのこと。
言っておきますが、それくらい自分のためにしか生きていない人がいるのが社会です。


スケープゴートに仕立て上げられる体験をした人間にとって見れば、
芦屋広太氏はなんと優しいマネージャーじゃないかと思ってしまうわけで。
皆さんにはそういう経験は無いのでしょうか。



このカユイ現象。
所詮これも、「右に同じ」でいいじゃない。 - edo13thの日記 で述べさせていただいた現象が発生しているのかな。

*1:この説得は専門用語として強制説得にあたりますでしょうか。

*2:古いものですが2003/9/JP版は全般的に本件に関係するでしょう。特集には驚かれるかもしれませんが。

*3:無論、そうじゃない方もいらっしゃいますが

*4:ハーバードビジネスレビュー 2003/11/JP版